イベント部会スタッフ

 

南米からの爽やかな風

                                                 イベント部会 S・T

「今年のOIWは、アルゼンチン!」と決まった日から、スタッフの準備が始まりました。

 

まずは、アルゼンチンとはどんな国なのか、柴りりあさんをお招きして、基礎知識を教えて頂きました。

 

南米の中部から南部にかけて位置し、スペイン語を母国語とする。 ヨーロッパからの移民も多く、ワインの生産が盛んだそうです。自然に恵まれ、イグアスの滝がブラジルとの国境にまたがり、氷河がその源の一部となっているのだそうです。

 

お肉のお値段が、日本では考えられないくらいにお手頃だとかで、アルゼンチンの家庭の食卓にも頻繁にあがるそうです。そういえば以前に新聞で、「アルゼンチンのお肉は衛生管理が行き届き、安全性抜群」と読んだことを思い出しました。「マテ茶」というお茶が、口の中に残った肉の脂を上手に流してくれるのが嬉しいです。

 

今回、ウダオンド舞踊団団員21名が来貝され、KAIFA会員の12家庭がホスト・ファミリーとなり受け入れました。

 

彼らにとって、貝塚市が来日最初のホスト・ファミリーです。 団員の誰もが、あるいは、受け入れ側の私達の誰もが、少々緊張気味です。お互いに情報が少なく、「食事はどんなものがいいのかな?」「何が好きなのかな?」「体調を壊している人はいないかな?」など、手探り状態で一日目が過ぎようとしていました。ところが、そんな私達の心配はすぐに吹っ飛んでしまいました。

 

到着日夕方からのパーティーで、彼らがとてもマナー良く、どんなことも好意的にさわやかに受け入れてくれる人達だという事がわかりました。食事の途中で、太極拳・尺八・津軽三味線・琴の演舞演奏が始まった時、みんなが演奏者に敬意を持って対していました。少し長い演奏でしたが、その間に誰一人退席せず、曲が終わるまでじっと座って耳を傾けている姿に、本当に感心しました。

 

二日目は自由参加でBBQをしました。 火おこしの手伝い、食事準備の手伝い、後片付け・・・、何事にも、男女関係無く、とても自然に進んで手伝ってくれました。

 

彼らの立派な行いは、スタッフの誰もが感心し、彼らのおおらかさにどれだけ救われ教えられたか、紙面に書き表せないほどです。

 

是非、たくさんのKAIFA会員が、さまざまなイベントを通して、実際に外国の方々と触れあう機会を得、お互いの良いところを学びあっていければと思います。そのためにも企画・運営に参加されることをお勧めします。見えないところで、本当にたくさんの会員が両手・両足をフルに使ってもまだ足りないくらい動いています。

 

より多くのスタッフが頭を寄せ合い、「貝塚市の受け入れは本当に良かった」と思ってもらえるよう、一緒に頑張りましょう。

 

 

ホストファミリー1

ホームステイ物語~アルゼンチンの女の子を迎えて~


                                                          左カミーラ(妹) 右バルビ(姉)

紅葉が始まりかけた頃、地球の反対側の国アルゼンチンから「舞踊団ウダオンド」が貝塚にやって来ました。私は今年からホストファミリー新1年生として受け入れ体験をさせていただくこととなり、嬉しい反面『言葉が通じるのだろうか』と不安が入り混じった不思議な気持ちでした。我が家の受け入れ準備として、触ってはいけない換気扇やセンサースイッチに(浅はかな知恵かと思いながらも)紅葉のカードを貼っておきました。

 

娘になってくれたのは16歳と21歳の美人姉妹です。幸い彼女たちは英語が話せました。私の片言英語で何とかコミュニケーションが取れると分かり不安は一掃。「よっしゃあ」と最初は思ったのですが・・・。

 

彼女たちは玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えてあがることは知っていました。でもスリッパで下に降りてはいけないことは知りません。「あ!」と思ってもとっさに言葉がでないんです。

 

それからは半分以上がジェスチャー。片言英語の中に日本語が混ざって首を傾げられながらも家中を案内して回った初日でした。「よかった~。何とか通じたわあ。」シャワーも済ましハグして「おやすみなさ~い。」

 

(晴天の日曜日。)

「カミーラ!バルビ!ブエノスディアス!」

 

二日目は二色の浜でKAIFA主催「バーベキューパーティー」参加の予定。朝私が握っている「おむすび」を見て「エンプティ」と笑っていました。それではと塩昆布を混ぜたのですが、おむすびの運命は?

 

おむすびと野菜を持って3人は出発。脇浜から近木川沿いに沿って歩き二色浜公園を通り抜けました。少し色づいた木々と芝生のどかな庭園風景に「ビューティフル」と言ってもらい、貝塚なんだけど異国情緒気分に浸ることができました。

 

到着してから少し時間があったので何人かで国華園へ野菜の買出しに。そこでアルゼンチンの方々はトマトとレタスが好きな野菜と分かりました。彼らは肉が好きで一回に一人約500g召し上がるそうですが、次に分かったことは焼肉のたれをいっさいつけないでことです。お肉も野菜もジャガイモも塩オンリィー。私もちょっと真似を・・・うん、まあまあイケル。けどやっぱりタレある方が・・・。

 

「そんなに食べて太らないの?」と聞くまでもありません。食後は陽気な音楽とフォークダンスが止まりません。私は足がこんがらがって倒れそうになりながら最後まで一緒に踊り呼吸も荒く汗だくです。さっき食べたお肉のカロリー全部消費したかもしれません。

 

私貝塚で生まれて育って何回も二色浜を訪れたことがあるのですが、キラキラ輝く海面に赤や黄色のヨットが浮かび漂う

光景を見て感動したのは初めてです。彼女たちも勿論お気に召して海岸で戯れていました。

 

帰りは塩谷さんに車で送っていただきました。2階で小学校1年生の息子さんとお母さんが折り紙で鶴の折り方をカミーラとバルビに教えてくれました。あと懐かしい「だまし舟」や「手裏剣」で遊び、折り紙のお土産をもらってカミーラとバルビは嬉しそう。

 

(夕方)

  「今から買い物に行くけどどうする?」
2人  「行きたい」
  「何ほしい?」
バルビ  「パスタ・サルサ・トマト・オニオン・水」

近くのスーパーでミートソースを見つけ「サルサ!」と言ってからあまりにも種類が多いのでびっくりしていました。姉のバルビは私についてレジへ、カミーラは店内をうろうろ。でも荷物は全部持ってくれましたよ。

 

  「作るのを手伝ってくれる?」
2人  「いいよ」(嬉しそうに顔がほころんでいました)

 

結局ほとんどカミーラとバルビがミートスパゲッティーを作りました。
バルビはトマトや玉ねぎを包丁で刻む手つきが良くて、カミーラは上手に炒め呼吸も合っておりました。
味は勿論「エスター デリシオーソ」(とっても美味しい)
コーンスープやポテト・焼肉とサラダの残りが夕食のメニュー。
あのおむすびの運命はオアズケとなりました。


シャワー後バルビがポットを抱えて、

バルビ  「お湯がほしい」
バルビ  「熱すぎるよ」
バルビ  「コップはいらないよ」
  「これマテ茶?」
バルビ  「マテ!」
バルビ  「全部飲んでみて」
  「美味しいー!」
バルビ  「お砂糖なしでもいいよ」

などと言いながらバルビは飲み干す度に砂糖とお湯を足して回して飲みました。

バルビ  「朝も昼も夜もマテを飲むから、持って歩くよ」
  「美味しいから明日も飲ませてね」
バルビ  「いいよ」

その夜、バルビはインターネットでアルゼンチンの自宅のご両親にホットメールを送っていました。
カミーラは鳴滝第一小学校にお礼のメールと写真を送っていました。

私には、アルゼンチンの家族や親戚、友達の写真を見せてくれました。
その時は英語でなくスペイン語でしゃべっていました。

わけ分からなく私はスペイン語をオーム返しして盛り上がりました。

アルゼンチンの方たちはとっても陽気でお茶目です。
ずっこけ写真見て大笑いです。
もちろん私も息子夫婦や娘夫婦の写真を見てもらいましたよ。
こちらは全く盛り上がりませんでした。

心も晴天の一日が終わりました。

 

(3日目月曜日)
いよいよ舞踊公演会の日です

バルビ  「見に来てくれる?」
  「もちろん、見に行くよ」

今朝の朝食は目玉焼きを半熟にしました。バルビは半熟大好き。ところがカミーラは今日も白身しか食べません。

  「苦手?」
カミーラ  「はい」
  「もらっていい?」
カミーラ「いいよ」

私は一口で黄身を(はしたなくも)。日本人の代表であることを忘れていました。(苦笑)
トーストには二人ともイチゴジャムが好きです。バルビはミルクコーヒー、カミーラはミルクココアにチョコスナックを入れて飲むのが日課みたい。
どこの家庭でもそうかもしれませんが姉妹でも好みは違いますね。『え?二人ともお野菜食べないの・・・』

  「いってらしゃい。すごい荷物ね。これはマテバッグ?」
バルビ  「そう、持ち歩いてるの」
カミーラ  「あ、マテ忘れた。とってくる」バタバタ・・・(階段を駆け上がる音)

夜の「民族舞踊公演」は満員御礼。

 

私の友達や知り合いも何人も来てくれて、終了後

「教えてくれてありがとう。よかったわ」
「アルゼンチンのお土産も買ったよ」
「写真一緒に撮らせて」
「私も一緒に撮らせて」

興奮冷めやらず。

バルビ  「舞台で踊ってる私たち見えた?」
  「見えたよ。上手に踊ってたね。すばらしいってスペイン語で何ていうの?」
バルビ  Maravilloso
  「マラビジョ-ソ・マラビジョーソ!」
バルビ  「カミーラがこけたの見えた?」
  「見えたよ。大丈夫?」
カミーラ  「大丈夫」

健気で陽気なカミーラにすごく親近感が沸きました。

 

帰宅したのは夜10時半頃かな。それから私の友達も交えて晩御飯です。
ホットプレートにはあらかじめ作ってあったハンバーグやお好み焼き・ポテトサラダ・スープ・残りのスパゲティ、そして、あの「おむすび」も・・・

「ハンバーグはソースかケチャップつけますか?ああ、やっぱり塩ね」
友達  「お好み焼きは如何?」
2人  「ノーサンキュー」
  「おむすびは如何?」
2人  「ノーサンキュー」
  「・・・」
友達  「ハンバーグに塩。美味しいよ。お好み焼きも塩だけで美味しい!」
  「ありがとう!」
友達  「踊り良かったよ」
バルビ  「何が一番良かった?」

友達の真由美さんはパンフレットを見せて英語で話していましたが、私は英語が出てこなくてそれらしく真似して踊って見せました。

  「マテ飲ませて」

マテは樽のような形をした木の入れ物に茶葉を入れます。プラスティックより木の器が良いそうです。真由美もマテをいただいてから、キセルのようなストローの正体を知りたくて茶葉から抜いてもらいました。先はスプーンのような形に小さな穴がたくさんあいていて液体だけが飲めるようになっていました。

お返しに真由美さんがお抹茶を略式でたててくれました。薄茶だったのですが、濃い茶のように回して飲みました。

バルビ  「マテと抹茶、回して飲むところが似ているね」

文化は全く違うけれど、似ているところありますね。ああやっと日本文化に触れてもらったわ。良かった。真由美さんありがとう。真由美さんの描いた日本画も見てもらったしね。

でもね、床の間の掛け軸「一期一会」の意味を聞かれたとき、私は英語で答えられませんでした。奥が深いでしょう。誰かうまく訳していただけたら後日メールでアルゼンチンにお知らせしますね。写真も添付して。

真由美さんもハグをしておやすみなさい・・・

 

(4日目の朝)
カミーラは眠そう、疲れているのね。
この日はスクランブルエッグ。
カミーラはお箸でスクランブルエッグを食べています。
つまんでは落とし、日本人でも難しいのに、

  「スプーン使っていいよ」
カミーラ  「練習してるの」

お見事、カミーラやっと完食ね
ウインナーも好きね。
バルビはネーブルオレンジを何切れも食べていました。

「これ美味しいよ。カミーラも食べてみて」

おむすびですか?
ご想像にお任せします。

いよいよお別れの時間が近づいてきました。

カミーラ  「アイロン貸してください」
  「何にアイロンかけるの?」
カミーラ  「ジーンズ」
  「いいよ」(きれい好きなんだわあ。私のジーンズなんてクチャクチャなのに)

いよいよお別れです。
塩谷さんが迎えに来てくれました。

塩谷さん  「お別れの時ぐらいスペイン語で」
  「なんて言うの」
塩谷さん  Gracias]
  「グラシアス・グラシアス」

玄関の外で何度もハグしながら「グラシアス」
手を振りながら「グラシアス」
・・・

その日の夜が来て
2階はエンプティです。
もぬけの空の布団が2つ。
でもね、
私の心はフル。
思い出でいっぱいですよ。

KAIFAのみなさん、
ありがとうございました.

 

 

ホストファミリー2

 

遥かなる国アルゼンチンから

~ウダオンド民族舞踏団、ビエント・ノルテ楽団員をホームステイに迎えて~

T.M.

アルゼンチンと聞いて、思い浮かべるものといえば、「タンゴ」、「南米のパリ、ブエノスアイレス」、「ミュージカルエビータ」、「イグアスの滝」、そして「大平原パンパ」・・・・どれもスケールが大きく何か豊かな印象があります。首都にある世界最大級の道路やオペラハウスが象徴するように、第二次世界大戦以前は、世界屈指の先進国でした。それはきっと豊かな資源とともに、勤勉な西欧からの労働者たちが中心となり、開拓精神を持って作り上げた国だからなのでしょう。しかしこの、日本から見て地球の反対側にある彼の国は、他の中南米諸国と比べても、かなり遠いイメージがあるのが事実でした。

 

この秋、大阪・貝塚に、そのアルゼンチンから才気あふれる舞踏団がやってくるということで、彼らの滞在をホストファミリーとして引き受けることになりました。正直、初めにKAIFAから依頼を戴いたときはあまり気乗りがしなかったのですが、かねてより国際平和交流活動には関心を持っていたので、このような形でその一環のお手伝いができればと考えて最終的に意を固めました。

 

緊張の対面式の日、初めて会った舞踏団・楽団員たちは皆、屈託のない笑顔を振りまく、陽気で気さくな人達でした。それだけで、ほっと、肩の力が抜け、温かく迎えたいという気持ちが高まりました。受け入れが決まった2 人、レオとルカスは、まだほんの20歳前後の青年達で、自分とは随分歳は違っていましたが、本当に2人ともしっかりしていて、大人の印象でした。

 

ホームステイの前準備として、食事、部屋、入浴のことなどの計画を立てるとき、当然、異文化への心配がありました。しかしそれはすぐに杞憂だとわかりました。というのも、2人とも1日目から、布団や箸、緑茶・・・等、日本流をすんなり受け入れてくれたからです。その謙虚さ、柔軟さ、気配りが何より爽やかで嬉しかったです。ラテン系特有の親しみ易さをもつ彼らとはすぐに打ち解け、アルゼンチンの有名なミネラルドリンク、マテ茶を作ってもらったり、南米の音楽ビデオを見せてもらったりしました。遥かアンデス山脈と太平洋を越えて、我が家に吹き込むその風はとても新鮮でした。

 

ホストファミリーの仕事は、食事やベッドの面倒をみることだけではありません。受け入れる人の健康面、安全面など細部に渡って配慮が要求されます。経験したことで、反対に今まで自分が海外でお世話になった人たちの、陰の苦労が少しばかり分かりました。ともあれ、滞在を通じて、レオとルカスには、「この家に来て良かった」、「日本は良かったと」と思ってもらえるようにしたかったのですが、その気持ちが通じたかどうか。

 

苦労といえば、日本文化そのものへの知的関心の高い団員たちから、あらゆる質問を受けて困りました。例えば、「仏教・神教の違いとは?」「寺でお香を炊く意味は何か?」「なぜお風呂のなかに身体をつけるのか?」等々・・・。残念ながら、これらの質問に中途半端にしか答えられない恥ずかしい自分がいて、これは今後の大きな課題だと考えています。

 

最後のハイライトである舞台公演は、満員御礼の盛況でした。もちろん内容は、Fenomenal(フェノメナル:素晴らしい)の一言。普段は、まだあどけなさの見えた団員たちが舞台の上では一様にキリっと民族衣装を着こなして、艶のある大人のダンサーに大変身していました。舞台構成は、まるでアルゼンチン全土を旅するような面白さ。全般に通じる、しなやか且つダイナミックな芸術表現に心を打たれました。

 

あっという間の4日間が終わり、最後はやはり別れるのが惜しかったです。本当に短い間だったのですが、食事やハイキングを通じて気が合い、いつの間にか最終日には、お互いに「兄弟」と呼び合えるほどに仲良くなっていました。心温かいラテンアメリカの呼吸が、自分の中にも感じられ、アルゼンチンへの距離が音を立てて縮まってゆく・・・・そんな瞬間が確かにありました。そのような奇跡がきっと「ホームステイ」の精華なのでしょう。


P.S. 今回のアルゼンチン一行、KAIFA活動員の皆さんへ、

¡Muchas gracias! どうも、ありがとうございました!

ラテンサロン通訳スタッフ1

 

EspañolBailamos な3日間

ラテンサロン     KAMAGATA

今度のOIW(大阪インザワールド)は「アルゼンチン」だという情報を耳にしたのはおよそ1年程前OIWには過去に(確かロシア編の時、金髪、青い瞳のロシア人特有のクールビューティな眼差しに圧倒されて、ろくに話せず交流などはかれなかった)苦い思いをしたこともあり、ちょっと懲りてそれ以来参加するのは遠慮していたのですが

 

一応KAIFAのラテンサロンの一員である身としては“Españolスペイン語の国であるアルゼンチンに興味が沸かないはずもなく「まだ一年もあるし、それまでにはスペイン語を完璧マスターして今度こそばっちりコミュニケーション!」な〜んて思ったのもつかの間。瞬く間に時は過ぎて気がつけば「貝塚・到着」の当日を迎えていたのでした。「どうしよう全然マスター出来てない!まあ単語さえ並べとけば多少はなんとか」と、とりあえず電子辞書をしのばせて会場へ

いよいよご対面の瞬間、予想通りの人なつっこく陽気なLatinos!なんだか楽しそう〜!な予感?。セレモニーを終えてようやくテーブルについて和やかなランチタイムが始まりました。しかし、話したいことはいっぱいあるのにいざとなるとなかなか言葉が出てこない!ごく簡単な単語でさえ「え〜っとなんだったっけ??」「え〜っと、この動詞の活用形は??」頭の中はもうぐるぐる渦巻き状態。結局、外国語を話す上であんまりしてはいけない頭の中で文法を組み立てて考えるという行為にどっぷりと陥ってしまっていたのでした。

 

おかげで食欲もすっかりなくなり、目の前に積まれたせっかくのマクドのハンバーガーも喉を通らない始末。不完全燃焼のままランチタイム終了でした。

午後からの市内見学のバスの中も終始にぎやかラテンムード満開!しかし感心したことは、彼らは陽気だけれども礼儀正しく、時間も厳守、思ったよりもはるかにきっちりしていたということです。きっとセルヒオ(団長)さんの教育、躾が行き届いているのでしょうね。そして日本に来るにあたって言葉も含め色々なことを勉強してきているんだなと感じました。集合時には点呼代わりに次々と「イチ!ニィ!サン!」と各自が日本語で順番に連呼してゆくのには驚きました。

 

翌日は目の覚めるような晴天!まさにバーベキュー日和。朝、10時に海浜公園に行くともうすでに何人かの方々が来られていて、さらにその中には何人かの Argentino達も準備を手伝ってくれていました。「昨晩はよく眠れた?」と聞くと「bien(とっても〜!)」とガッツポーズ!さすが若いから元気です。

 

でも食欲に関しては聞いていたのとはいささか違い、殆ど私達と変わらない日本人並み。「肉なら一度にひとり軽く1kgは食べる!」だのの情報は一体何だったのでしょうか?もちろん彼らはダンサーだから、もしかしたらそれなりにウエイトコントロールを心がけているからなのかもしれません。

 

食事の後は当然のことながらお約束のミュージックとダンス!!


降り注ぐ太陽!煌めく海!緑の芝生の上でスペイン語のかけ声に合わせて老若男女手を取り合って輪になって「ここは一体どこ?えっ二色浜?嘘みたい」な情景。

 

でもみんな笑顔で楽しそう!これですよ!これ!これこそがまさにラテンBailamos(私達は踊る!)なのです。この時ばかりは大不況だの、金融危機だの地球温暖化だの暗い話はとりあえず遙か彼方にうっちゃって平和なひとときを実感しました。

 

本番のコンサートではうって変わってプロフェッショナルな完成度の高い彼らのダンスに魅了されるばかり。昨日の、ジャージ姿で炭を団扇であおいでいた、タワシで金網を擦っていた彼らと、とても同一人物だとは思えませんでした。「さすがだなぁ」の一言です。ご存じのように最近、恐れ多くも人前でラテンダンスなるものを踊っている私達ですが、彼らと比べたらまるで小学校の学芸会並み!(当然ですが)恥ずかしくなりました。一日目のパーティも2日目のバーベキューも、そしてコンサートのフィナーレもみんなでダンスで締めくくり。かくしてBailamosな3日間が終わりました。

 

改めて彼らとの交流を交えた3日間を振り返って思ったことは、「ダンスって、踊ることって、本当に楽しい!身体を動かすことってやっぱり気持ちいい!」ってこと。それは時には世代も民族も言葉の違いも超えた交流ができる手段でもあるのですね、きっと。彼らがそれを教えてくれたような気がします。踊っている時の彼らの表情と笑顔は最高でした。これからは(たとえ人前に出ても)もっと自分自身も楽しめるようなダンスがしたい!と思いました。学芸会を脱出できるか否かは定かではありませんが。そしてEspañnolの件はとりあえず、次回(スペイン語圏の国来日)までの課題として持ち越し?ということで

 

アルゼンチン日本から見たら遙か地球の裏側の最果ての国。少年マルコが母を訪ねて三千里も旅した国。子供の頃からそういうイメージがありましたが今はとても近い国に感じます。行ってみたいけれどこの先そうそう訪れる機会はないかもしれません。いつの日か再び「ウダオンドバレエ団」が来日して、成長した彼らの円熟味をおびたダンスが見られることを密かに心待ちにすることにします。

 

¡ El baile me encantó , Gracias ! (魅了されました、ありがとう!)

 

¡ Hasta la vista !(また会いましょう!)

 

 

ラテンサロン通訳スタッフ2

 

舞踊団受け入れについての感想

ラテンサロン     H.T

感想文としては書きにくいので、今回の催しについて感じたことを述べさせてもらいます。

 

特に感じたことは、アルゼンチン舞踊団の受け入れに対し、KAIFAの関係者が情熱を持って取り組んでいた事です。歓迎会やバーベキューの準備、舞踊会の運営等、皆さんが生き生きと活動されていたことを肌で感じました。言葉や習慣の違いなど苦労する部分が多かったでしょうが、この催しを成功させるんだと言う意気込みが全員から感じ取れました。また、言葉がまったく解らないにもかかわらず、進んでホームスティを引き受けてくださった皆さんは本当にご苦労さまでした。いろいろ苦労や失敗もあったと思いますが、交流を通して日本人アルゼンチン人双方が互いの文化や習慣の一端を感得することができたのではないでしょうか。

 

ラテンサロンの一員としては、会長の挨拶文の西訳、舞踊団の付き添い等の一部を担当しましたが、彼らから得られた物の方がこちらから教えた物より大きかったような気がします。特に、感じたことを臆することなく言葉や行動に表す様はわれわれ日本人にはとてもまねの出来るものではありません。また、当然のことですが、当方のスペイン語の未熟さを痛感しました。ともすればマンネリになりがちな語学の勉強ですが、彼らから刺激を与えられた気分です。

 

最後に、今後共、この様な外国人受け入れを行うことはKAIFAの更なる活性化につながっていくものと確信しています。

 

通訳 徳田さん

 

通訳をしての思い出

平成21年の初秋
アルゼンチンから21人民族舞踊団in Kaizuka!
タンゴの国アルゼンチンから民族舞踊団がOsaka in the Worldのご招待で来日しました。


縁があって事前お国柄の紹介、食べ物、習慣などについて気軽な紹介をさせていただきました。
基本的には時間にルーズ、肉食、マテ茶を飲む、明るくおおざっぱな性格、フレンドリー、少し気取ったところがある。
この舞踊団の場合、国際経験がない大勢の人でしたのでホームステイ中、受け入れていただいたご家庭にトラブルがありませんようとても心配でした。
でも、貝塚の皆さまは勇気と落ち着きにあふれ、南米の団体を広い心と温かい行動力で歓迎していただきました。
皆、お忙しいお仕事中、 たくさんのお料理を作られ、長い旅(飛行機で36時間)で少しのびていたアルゼンチンの団体は嬉しい歓声をあげていました。

 

次の日は美しい海岸でバーベキューパーテイーは最高でした。
草原のまばゆい太陽の下で輪になって踊りました。

クライマックスは立派なコスモスシアターでの公演でした。
21人はエネルギッシュなダンスを披露しました。興奮の渦でコスモスシアターを
埋め尽くした500人。
舞台で一緒に踊りました。

もはやスペイン語と異文化の壁は消え去り、力強い感動が一か月隔てた今でも余韻を
脈打っています。
すべて貝塚市民の心からの交流、広い視野が育んだ素晴らしい一瞬でした。

 

時間が過ぎ、季節は変わりますがあの尊い一瞬は私たちの記憶にフラッシュのように
刻まれました。
貝塚の土地にて真の国際交流を教えていただきました。

 

この思い出を一生の宝にしてアルゼンチンへ帰ります。

 

Dra Ana Cristina Tokuda

 

 

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